魂の軌跡

わたしからあなたへ、あなたからわたしへ。うつ気味でもあり苦い日々ですが、手紙のように思いを綴っていけたらと思います。

気力ゲージ

朝起きられなくなって気がついた事がある。人間には「気力」というパラメーターがあるのだということ。

満タンの状態が100だとすると、普通の人は常時70か80くらいは貯まっている。多少疲れても60くらいで、50を切るとだるく感じたりする。でもこの段階では気力の問題とは思わない。そもそも気力というパラメーターの存在そのものに気がつかない。

ある日何故だか朝起き上がれない、となった時にはこのゲージはもう20を切っている。どこかが痛かったりするわけではないのだけれど、何故だか体が動かせない。眠っているわけではないので上体を起こすことぐらいはできるけれども、それ以上の行動につながらないのだ。顔を洗ったり着替えたり、朝食を用意したりすることができない。ただ、なんだか気力が湧かないな、と思って、少し遅れて気力というパラメーターの存在にふと気がつく。それは今まで抽象的な概念に過ぎなかったけれども、その瞬間からゲージのように測定可能なもの、確固たる具象になる。

気力はストレスで減っていくけれども、普通の生活があればすぐに回復する。生活がなかったり、ストレスから離れることができないと、ゲージの減少は累積していく。そしてある時、20を切ったくらいで朝起きられなくなる。おかしい、と思い始める。病院に行く。中程度のうつですね、と医者が言う。

 

一度パラメーターの存在に気がつくと、ゲージの貯まり具合が自分で見えるようになる。朝起きて、今日は30くらいあるから大丈夫だ、今日は全く駄目だ、そんな風に加減がわかる。

自分が平常な時にはこの「気力ゲージ」の存在には気がつかなかった。だから、周囲の人から見たら気力の有る無しなんて全くわからないだろうと思う。実際、健康なレベルであればゲージの値なんて問題にならないのだ。朝起きれない、というレベルまでゲージが下がってきて初めて、5か10くらいの値の差が日常に対して目に見える影響を与え始める。

 

今日は気力が湧かないんです、なんて他人に言ってもまず理解されないだろう。これがうつの人の標準的な感じ方かどうかもわからない。けれどもいま僕が日々直面しているのは、とにかくこの気力ゲージとの睨めっこであり、これこそが僕の抱えている問題なのだ。

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