ふらふらするわたしはどこへいくのか
朝起きて夜寝るということがままならない日々を送っています。体は十分に休んだと思うのですが、どうやらそのあいだに体内時計が狂ってしまったよう。困るのは、生活のリズムを回復しようにも、ここ暫く仕事しかしていなかったので、生活そのものが希薄なことです。
梅雨は終わりましたが今日も雨。雷鳴りと蟬の鳴き声が混じり合っています。
気力ゲージ
朝起きられなくなって気がついた事がある。人間には「気力」というパラメーターがあるのだということ。
満タンの状態が100だとすると、普通の人は常時70か80くらいは貯まっている。多少疲れても60くらいで、50を切るとだるく感じたりする。でもこの段階では気力の問題とは思わない。そもそも気力というパラメーターの存在そのものに気がつかない。
ある日何故だか朝起き上がれない、となった時にはこのゲージはもう20を切っている。どこかが痛かったりするわけではないのだけれど、何故だか体が動かせない。眠っているわけではないので上体を起こすことぐらいはできるけれども、それ以上の行動につながらないのだ。顔を洗ったり着替えたり、朝食を用意したりすることができない。ただ、なんだか気力が湧かないな、と思って、少し遅れて気力というパラメーターの存在にふと気がつく。それは今まで抽象的な概念に過ぎなかったけれども、その瞬間からゲージのように測定可能なもの、確固たる具象になる。
気力はストレスで減っていくけれども、普通の生活があればすぐに回復する。生活がなかったり、ストレスから離れることができないと、ゲージの減少は累積していく。そしてある時、20を切ったくらいで朝起きられなくなる。おかしい、と思い始める。病院に行く。中程度のうつですね、と医者が言う。
一度パラメーターの存在に気がつくと、ゲージの貯まり具合が自分で見えるようになる。朝起きて、今日は30くらいあるから大丈夫だ、今日は全く駄目だ、そんな風に加減がわかる。
自分が平常な時にはこの「気力ゲージ」の存在には気がつかなかった。だから、周囲の人から見たら気力の有る無しなんて全くわからないだろうと思う。実際、健康なレベルであればゲージの値なんて問題にならないのだ。朝起きれない、というレベルまでゲージが下がってきて初めて、5か10くらいの値の差が日常に対して目に見える影響を与え始める。
今日は気力が湧かないんです、なんて他人に言ってもまず理解されないだろう。これがうつの人の標準的な感じ方かどうかもわからない。けれどもいま僕が日々直面しているのは、とにかくこの気力ゲージとの睨めっこであり、これこそが僕の抱えている問題なのだ。
不安
今朝目が覚めて、急に不安になった。具体的なことは何も無い。ただ胸が急いて、寝起きのぼんやりとした頭が焦りの気持ちでいっぱいになった。何かに不安を感じるのではなく、ただ純粋な不安という感情だけがあって、追われるようにしてぎゅっと目を閉じた。これが不安症状というやつだろうか。短い時間だったけれども、長く続いたらとても苦しいだろう。
小心者で耳が良くても碌な事がない、と思う。
元々気が弱いので他人の発言が一々気にかかる。そのくせ自分には関係の無い周囲の会話もいつも無選択に広範囲に拾っている。だから職場の其処彼処で交わされるネガティブストロークに敏感に反応してしまう。
今の職場のボスは、部下に対するコミュニケーションの半分くらいを罵倒語で構成している。君は無能だ、君が考えても仕方ない、君が今やっていることはボランティアの学生並だ、そんな風にスタッフの自尊心を切り捨てていく。そういう会話とも指導とも呼べない一方的な言葉が耳に入ってくると、自分に関係なくてもつい萎縮してしまう。
(余談だが、このボスはスタッフ体制を強化したいといつも言っている。自分の発言が高い離職率を生み出し、リソースを削っている事にいつになったら気が付くのだろう。)
今日も出社は午後になってしまった。早く定時出社のリズムを取り戻したい。
*カウンセリング記録(六月二十九日)
周囲に仕事を頼むのが苦手。まずは自分が頼まれた時に少しは断ってみる。逆に、人に頼む時には「忙しかったら断られるだろう」と思っておくこと。頼まれたら断れない自分を無意識に前提としているから、一言頼む前から相手の業務量や負担を想像して悩んでしまう。断ってくれて構わない、と思っていれば頼みやすい。
手紙の楽しみ
あなたに手紙を書くのが楽しみで今日一日を過ごしました。
楽しみがある、というのは素晴らしいことです。もう長いこと仕事以外のことを考える機会を失っていたかもしれません。仕事と睡眠以外に関心を向けられることで、随分と楽になるということがわかりました。
眠れなくて困ったくだりは昨夜に書きましたね。結局、眠りについたのが午前五時頃で、出社は十一時になってしまいました。でも朝食を食べられました。実際のところ些か無理をしておにぎりを一つ食べたのですが、とにかく食べたお陰で幾分調子が良かったように思います。
昨日、職場との電話で仕事量と勤務時間を見直す話ができたので、今日は比較的楽な気持ちでいられました。重荷を降ろした気分です。朝目覚めて上体を起こしてからまともに動けるようになるのに一時間かかったり、昼食の蕎麦を食べるのに二十分以上もかかったりするのには自分の事ながら閉口しますが、穏やかな一日でした。
うっかりすると残業して仕事を片付けようとする癖が付いてしまっているので、暫くは午後七時か、遅くとも八時を刻限として自分に課したいと思います。早く帰ることのできる環境をつくれば、早く仕事を終わらせて家に帰りたいという気持ちが、自然とやる気や集中力につながるような気がします。
梅雨の雨があなたに恵みをもたらしますように。
最初の手紙
君はいま休息を求めている。少なくとも表面上はそう見える。心から望んでいることが何なのか、それはわからない。おそらく君自身にもわかっていないから、いま一息の休息を君は希求している。
ひょっとするといまは、疲れた君の目には何もかもが疎ましく映るのかもしれない。けれどもそれは君の本質ではない。ある季節、君は希望に満ち溢れ、前向きな展望を持って日々の輝きを楽しんでいたはずだった。太陽の照らす下で、活き活きと空気を吸い込み、活動力に満ちていた。それが君の本来の姿だった。
いまは休むがいい。過重な仕事が君の心を擦り減らし、無感動にさせた。朝目覚める毎に心と体は重苦しく、起き上がることすらままならない。いままで輝いていたはずのものたちが色褪せて見える。
心療内科で医師は抑うつだと告げた。職場に出れば上司は君が仕事の責任を果たすことを望む。分裂した環境は君を疲弊させるかもしれないが、適切な睡眠、適切な食事、カウンセリング、仕事の重荷の軽減、そういうものを君は必要としている。
まず心と体の休息があり、次に生活があり、それから務めがある。君は仕事を優先し過ぎた。休息と生活をまず建て直すことだ。
君の孤独な魂がいつか治癒し、再び明るく太陽の下を歩く日の来ることを願う。